NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会 横浜ロシア語教室

この教室について

横浜ロシア語教室の歴史

1961年の創立以来、熱心な生徒・講師・関係者の物心両面にわたるご支援により
ただの一度も休むことなく続ける事が出来た横浜ロシア語教室。
当教室の創立以前から現在までを知る神奈川県日本ユーラシア協会顧問・柴田順吉氏がその歩みをご紹介します。


 ソビエト政権成立(1917年)後の神奈川県における大衆的ロシア語学習は1925年4月5日、国鉄神奈川駅(現在のJR東神奈川駅)、大正学院夜間中学校を教室に、横浜露語学会によって行われた。
 戦後同じ場所で当会のロシア語教室が行われたのは誠に奇しき因縁であった。

 戦時中、大衆的なロシア語学習は『敵性語』の学習として弾圧され、事実上中止させられた。
 ロシア語の学習者は「赤」=共産主義者、スパイの嫌疑をかけられる有様であった。

 戦時中の政府、軍部の弾圧に余儀なくされた永い沈黙を破って敗戦後の1945年、ソビエト研究者協会が、翌1946年、日ソ文化連絡協会が結成された。
 この両団体が核となり、日本帰還者同盟(日帰同)、日本民主主義文化連盟などの12団体が母体となって結成されたのが旧日ソ親善協会であった。

 その綱領は次の通りであった:
1) 世界平和と安全を守るために
2) 民族の自由を守るために
3) 母国を民主的に建てなおすために
4) 平和産業を守り、失業者をなくすために
5) 勤労者の権利を高めるために
6) 民族の文化と教育を高めるために

 合言葉は次の通りだった:
1. 皆さん、ソビエトと仲良くしましょう
2. ソビエトの文化と、学術をとり入れましょう
3. 日ソ両国の貿易を伸ばしましょう

 これは(1)過去の戦争の惨禍に対する反省の上に立脚し、(2)国際平和実現を基本に見据え、(3)草の根の国際交流・相互理解を志向するものであった。

 1955年、日ソ、日中国交回復運動の高まりの中で、吉田元首相のかたくなな反共路線に反対して、鳩山一郎首相が登場した。日ソ親善協会は22万名の国交回復賛成署名を集め、政府にその早期実現を迫った。北方水域での操業を目指す漁業関係者や世論の圧力により、河野一郎農相が訪ソ、漁業交渉を妥結させた。
 翌1956年、鳩山首相が病躯を押してモスクワに赴き、日ソ共同宣言に署名し戦後10年も経って漸く国交が回復した。

 1957年、日ソ親善協会は当時45,000の会員、37都道府県連、138の独立支部を有していたが、この新しい情勢に呼応して、広くソビエトとの交流を望む国民的大衆組織、日ソ協会への発展的解消をめざした。
 会長には鳩山一郎元首相、副会長には茅誠次東大学長、近衛内閣書記官長風見晃氏等が就任した。
 新しい協会はその目的を「日ソ両国民の相互理解と親善を図り、もって世界平和に寄与する。」とした。
 ロシア語の学習は『両国民の相互理解と親善』の為の不可欠な手段として重視された。

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